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緊張感と安心感

はじめまして スタッフの谷です。

今年の春に入社し、ブログを書かせていただく機会を頂きました。
器用ではないので文字にのせて何かを伝えるだけでも緊張してきます。

緊張感というのは日々の生活においても、建築においても大切な空気ですが
意識しすぎると疲れてしまいますし、意識できないとただ時間が過ぎていくように感じます。

最近では未だに日常生活においてもピンっと張るような緊張感のある日々が続きますが
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

私はバタバタと東京に来てしまったので、現在友人の家で生活をしているのですが個室というものを
持たずに机や椅子をその時の気分で移動させて距離をとりながら生活をしています。

個室を持つと性格の違うものが1つの部屋に色濃く出てしまうので、お互いがすごく気になりますが
それがないので「使ったものを片付ける」これさえできればある程度生活できることに気が付きます。

その中での私の休日は
玄関の扉を開け放ってキッチンの前に椅子を出してお気に入りの曲をかけながら
読書をし、お腹がすいたら外の通りを横目に料理を作る時間を過ごすのですが
これがなかなか充実感を感じます。

ありきたりなので同じような生活を送っている人が多いとは思いますが
何故、充実感を得れるのかを考えると
家の延長のように続くこの広すぎない通りがあるからだと感じるのです。
音、風、配達員の人、マスクを着けて買い出しに行く人、気持ちを乱さないよう
適度に運動をする人が無意識に自分の中に入ってくると不思議と緊張感の中に
安心感を感じることが出来ます。

私が今のところに住めているのは、僕の前に住んでいた住人が独り立ちをしたからなのですが
つい先日、この家を題材に曲を作って送ってくれたので聞いてみたところ彼はこの玄関先の通りから
未来を感じていたそうです。

同じ視点で同じ風景を見ていても、状況や人によって全く違う思いを持つというのは
興味深いです。

もし、あまり窓を開けないという人がこのブログに目を通していただけたなら
椅子と好きなものを窓先まで持ち寄り、窓先で半日を過ごしてみて欲しいと思うのです。
また、普段開けない窓で一日を過ごしてみるなど
今、自分が身を置いてる場所がより好きになるかもしれません。

緊張感と安心感、日常生活でも建築でもこの空気に寄り添いつつ日々挑戦できるよう
がんばります。

皆様も今も続く距離をとる生活に疲れないよう、自分にあった空気と共に体調にお気をつけて
お過ごしください。

それでは失礼致します。

視点

初めまして スタッフの辻川です。

入社して8ヶ月が経ち、ブログを更新しようと思っているうちに
半年が経ってしまうほど濃密な日々を過ごしています。

先月には担当させていただいていた練馬の飲食店の引渡しがあり、
今月は担当させていただいている三鷹のリノベーション物件の引き渡しがあり、
多く経験させて頂けました。

そんな中、日々「設計」という行為が
様々な視点の交差から成り立って
学生時代の視点が狭く実施設計や現場では
ほとんど通用しないことを痛感しております。

日々、その視点のズレをなくす為に様々な視点から考えていくと
また新たなズレが生じ葛藤しつつ進んでゆく先に新たな視点が生まれるのではないかと。

学生時代に考え、見てきたていた視点は大切に持ちつつ、
実務での視点の上手くリンクをさせながら建築を考えていき、
素敵な空間を作っていけたらと思っております。

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来年は素敵なプロジェクトが多いので楽しみです!!

空気感

お久しぶりです。福村です。

書こう書こうと思っているうちに、だいぶ月日が経ってしまいました。
これを機に定期的に更新していければと思います、、、

暑いのか寒いのかよくわからない日が連日続きますね。
体調だけは崩さないように日ごろから注意しようと思います。
皆様もお気を付けください。

さて、最近担当している住宅が上棟しましてウキウキワクワクしている日々です。
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まだ完成は少し先ですが、自分でも住みたいなと思いながら粛々と進めている状況です。

いくつかの現場や作品をみていると
いろんな人がいる中でいろんな住宅があるべきだなと再確認しています。
なぜか人柄や雰囲気がダイレクトにあらわれているように感じるものが少なくありません。
RCなのか鉄骨なのか木造なのかさへその人自身が持つ空気感で導かれているような気も。。。

人柄などから建築を考えてみるのも面白い発見ができるかもしれないですね。

よくわからない感じになってしまいましたが、概念的なことなどを最近考えられていなかったので
意識的に考えなくてはと思っています。

余裕を持って生きるのが目標です。

それでは

建築を通して

こんにちは、山口です。

本日houseOのお引き渡しがありました。
夏に工事着手してからあっという間に時間が経っていました。

この住宅は新人の設計スタッフと新人の現場監督で担当させていただき、
お互いわからないところを共有したり、悩みながらもいろんな方の知恵をお借りしながら進めてきました。
毎朝現場からの連絡で仕事が始まるようになる中で、
「山口さん、外観めちゃめちゃかわいいですよ!」
と足場がとれた連絡が監督から興奮気味でが来たことがありました。
ただ足場がとれた連絡ひとつでも現場を楽しんでいる様子が伝わってきてこちらもわくわくしてたのをものすごく覚えています。
そんな新人監督とひとつの現場を通して、意見をぶつけ合いながらも共に成長できたことは本当によかったです。

また工事が進み完成へ向かう打合わせの中でお施主様と
「ここでこんな風に過ごしたい、こんな暮らしができる」といった希望が現実に近づいていき
それを喜んでいただけたことが何より嬉しかったです。感無量でした。
設計から暮らしを考えることの大切さを実感させていただきました。

今回初めての実施設計監理通して、建築を設計することの楽しさと共にたくさんの人の知恵によって
建築が成り立っていることを改めて実感しました。大工さんから設備屋さんまで多くの職人さんと知恵を出し合いながら工事が進み、
より良い住宅になったのではないかと思います。
現場から連絡が来ることも、行くこともなくなるので寂しさもございますが
これからはお施主様に住まわれることによって、よりよい住宅になっていってほしいです。

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公園に桜が咲く季節にまた伺いたいです。

山口

ビス1本まで

こんにちは、増田です。

更新を怠っているうちに梅雨入りとなりました。
現場にとっては雨は厄介者ですが、晴れ間を縫って今日も様々なプロジェクトが動いております。

さて先日、長らく設計を進めてきました北鎌倉の住宅が上棟しました。
まだ柱と梁と筋交があるのみですが、少しづつ空間のコンセプトのようなものが表れ始めています。

現場で建築が立ち上がっていく過程を隅々まで見ると、
PCや紙の上で設計をしている時とはまた違った解像度で建築の姿が見えてきます。

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設計中は、建物自体や、その中にある部屋であったり壁であったり、家具や開口部など、
ある程度大きなスケールで意味や理由を考えていますが、
現場に入ると、まさに板1枚のスケールで物事の意味が見えてきます。

基礎の厚さ、土台の位置、合板の仕様、ビスの間隔、建築を構成するあらゆる要素に
それぞれの役割があり、それが積み重なって建築ができているのだなあと改めて感じました。
微視的な視点と巨視的な視点が、現場を見ている間に少しづつ繋がったような気がします。

建築が完成するまでの過程は、設計者はもちろん知っていなければなりませんが、
その建築で住まう人にこそ、経験してもらいたい事でもあります。

どこにどんな物が使われているのかという瑕疵的な安心感もありますが、
建築の隅々までが自分の生活に寄与している事に気付けると、
もっと細かいところまで建築を愛せるのではないでしょうか。

建築と地域

こんにちは、福村です。久しぶりの更新になってすみません。。。

さて、最近は図書館のプロポーザルに参加していました。
結果としては次点だったのでとても悔しい気持ちでいっぱいなのですが、
この経験を活かして前に進まなければなりません。当日の審査で感じることも多々ありました。

そういった中で強く感じることができたのは、地域の熱量です。
当日も多くの地域住民の人たちが見に来ていました。ほぼ満席の状態で埋まっている会場を見て
建築を作るということに、これだけの人たちが興味と関心を持ってくれているんだとある種の
感動と責任のようなものを感じました。

このような体験をして、多くの地域にはまだまだ建築が必要で、変化を求めている地域が多くあること。
建築でなければ起こせない変化があること。建築にはまだまだできることがあるんだなと。

今回は悔しい思いをしましたが、街に建築を作ることがどういうことなのか、
あの審査会場で感じることができたように思います。

建築の空間により街と人が変わっていく。
建築をつくることは未来をつくることである。
建築は社会を変えることができる。
自分の中で印象に残っていた言葉たちが確信をもった理解に
変わりつつあります。

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建築で感動させたいですね。これからもがんばります。それでは

建築士と建築家

こんにちは、増田です。

長らく更新を怠っている間に、
ブログを書いている今、ついに大晦日の夕方を迎えてしまいました。

今年も様々なプロジェクトと素晴らしいお施主様に恵まれ、
スタッフとしても大変素晴らしい経験に溢れた1年となりました。

1年目である昨年は、まさに図面の書き方や設計の基礎にどっぷり浸かる鍛錬の年でしたが、
2年目である今年は、図面に描いたものが初めて実物となり世に放たれていく実践の年でした。

この1年で何が成長したかはまだ整理できていませんが、設計図が立体になる、
という流れに触れて建築の見方は少し変わった気がします。
世の中がどのように出来ているのかが知れると、何気なく街を歩いているだけでも細部や仕組みに注目するようになり、今まで見ていたものも全く新しい世界のように思えて楽しいです。

僕は大学と大学院の6年間で建築を学んできましたが、
実際に社会に出てみるとまだまだ学ぶべき事は多く、果てしなく遠い道のりのように思えます。

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学生の頃の課題というのは、お施主様の存在も架空のもので、
学生特有の若さもありカッコよくて新しい可能性や思想をもった建築ばかりを思い描いていました。
いわば、建築という学問を発展させる為に存在するような「建築の為の建築」をつくるような感覚でした。

今は実際にお施主様が居る事や、設計したものが現実のものになるという事もあり、
「生活の為の建築」を強く意識するようになりました。

ですがそれは、学生の頃学んできたようなコンセプトや思想を「夢見がち」として捨て去った凡庸な建築や、
逆に最低限の生活しかできないような建築家の実験的な建築という意味でもなく、
必要十分な生活を保証し、かつ建築的な新しさが、生活にも新しさや発見をもたらす事に直結している、
という意味で「生活の為の建築」という風に考えています。

リビングも、中庭も、家具も、階高も、光も影も、海も山も街も、はるか昔から存在するものですが、
私達が建築を作る事によって、
そんな当たり前すぎて深く意識する事も無くなってしまったモノに潜む、
新しい魅力や可能性に気づかせる事ができたならば、これほど嬉しい事はありません。

そういう意味で、好き勝手やってきた学生の頃とは比にならないぐらい、
建築がそこに存在すべき理由に現実味が求められます。
それでも、そこに怖気ずに、6年間学んで得た思想や考え方を流されないようにしたい、と思いました。
その上で次々と新しい経験や考え方を積み重ねていきたいです。

おそらく建築は、思想やこだわりなど無くとも、
それなりの経験と知識と資格さえ持ってしまえば、だれでも設計する事ができると思います。
無難に家を設計する、という仕事の仕方もあるのかもしれません。

だからこそ、
そこでこだわりや思想を捨てずに持ち続けられるかどうかが、
その人を建築家と呼ぶか建築士と呼ぶかの境目なのではないかと思います。

僕はまだスタッフという未熟な身ではありますが、
それでも意思を持って建築設計に挑み続けたいです。
スタッフなのに建築家みたいですね!と呼んでもらえるように。

そのような姿勢で、来年も頑張ります。

増田

行為の足跡

こんにちは金沢です。

冬なりかけですね。
この時期は油断してると風邪すぐ引いてしまう気がします。

しかしながら、こんな時期でも水を使わなければいけない時がある訳で・・・
そんな時は昔からこのホースがお友な気がします。

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床に垂れたホースの無作為にテローンとした感じが個人的には何故か愛しくてたまりません。
残り水が垂れてると、なお愛おしいです。

水撒きという行為を満たすため、
紐形状と軟質素材という要素が合わさって生まれる、ホースという自由な線。

それは誰かが水を撒いた、その足跡ともなるような気がします。

必要条件がいつの間にか十分を生み出す。
ミニマルな考えというのはなんか得した気分になりますね。

では

当たり前のことの見方

こんばんは福村です。

最近は少し肌寒くなってきましたね。
とうとう秋本番かな?と思っていると暑かったりもしますが

自分もそうですが、みなさん体調には気をつけてくださいね。

さて秋といえば、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋など
盛りだくさんな季節でもありますが、この並びをみると

季節が関係あるのだろうかというぐらいすべての要素が入っているように思います。
食べるし、本を読むし、運動するし、芸術もたしなむ。

さらに言えば、文化祭や運動会、合唱コンクールなどもこの季節に含まれ
秋ってほかの季節より優遇されてるな、なんて思ってしまいます。

ほかの季節にも分けてあげればいいのにと、たとえば
スポーツの夏、読書の春、芸術の冬。。。わかってはいましたがしっくりこないものです

このような特に理由は知らないけど、言葉のまま受け入れてる事柄って結構あるような気がします。
なぜかその言葉がしっくりきていて自分の生活がそれに従って動いていたりしませんか?

しかし、そのような当たり前の事を疑ってみたり、確認してみたりすることが何かのきっかけになるんじゃないかなど…
当たり前の事とは自分を縛っているものであり、枷であり、そこから解放されることで新たな発見や変化につながるかもしれないなどと妄想したりしています。
当たり前が当たり前じゃなくなるとき。当たり前がなぜ当たり前か気づいたとき。なにか見えてるものが変わるかもしれませんね。

当たり前がない建築。

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ここにはどんな当たり前があるんでしょうか

まだまだ考えられることはたくさんありそうです。

最後に、Pinterestに続き、Instagramも始めました。
篠崎事務所のプロジェクトや事務所の雰囲気など発信できたらなと思います。
よろしくお願いします。

https://instagram.com/hiroyuki.shinozaki.architects/

都市の礎

こんにちは。増田です。

連日大雨が続きましたが、皆様ご無事でしたでしょうか。

事務所のある代々木公園は大きな池が出来る程の雨量でしたが、
今日も遠方の水害の後遺症が報道されていて、東京と比較にならない程大変な状況である事が伺えます。

狭い島国である日本は、山も川も海も街も全てが近接しながら存在しています。
それが日本の個性であり魅力ですが、街が自然災害に見舞われやすいという事もまた事実です。

そう考えると、自分は建物の中で過ごしているのではなく、
もっと大きな環境の中で過ごしているんだな、という事を意識させられます。
近所の川や山、公園、商店街、駅、学校、色々な物に囲まれていたんだなと。

「この街に住む」とはつまりどういう事なのだろう、と考えさせられます。

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ある会社の信念となる言葉に「共に生きる」というものがありました。

「部屋に住んでいる」と考えるか「街に住んでいる」と考えるかの差はまさに、
この街で誰かと/何かと共に生きているかいないかの差、ではないかと思いました。

山と生きる、川と生きる、人と生きる、etc…

極端に言えば、牢屋のように堅牢な建物は自然災害にも強いですし、
そこに平らな床さえ有れば、仕事も食事も睡眠も困りません。

ですがそのような合理的すぎる建物は、どんな場所に建つかなんて関係ない、
自然や近隣の存在なんて少しも感じない、孤立した寂しい建物になってしまうでしょうね。

まちに開かれた大らかな建物があり、上には働いている人の姿が見え、
下には遊びに来た大人や子どもがワイワイお茶していて、時々目が合ったりして、
お昼には美味しい焼肉屋さんがお弁当を届けに来て、おめでたい日にはお花屋さんが来て、
夕方には遠くの山々を眺め、祝日には祭りをやって…

そんな風に、街のあらゆる存在が集まって交差していくような
ターミナルになる建築が有るといいな、と思っています。

自分がその街に住んでいる事を楽しい・誇らしい・アイデンティティだと感じる事も、
何か起こった時に互いに助け合えるかどうかも、
ますは「住んでいる街を知る」という事から始まっているような気がします。

建築を設計する立場ではありますが、建築単体だけでなく、
その外側へも意識を向けられるようなものをつくりたいです。

増田

精度と質感

こんにちは、増田です。

今年も1年の半分が終わりました。
少しづつ夏らしさが増しつつも、まだまだ梅雨が明ける気配はなさそうです。
ただ私は雨が好きなので、しばらくはこのままでもいいかな、と思っています。

雨の日の唯一の悩みは湿気です。
これによって、髪の毛と事務所の模型がうねりだします。
精度よく作られた模型達も素材は紙なので、反ったり剥がれたり、一溜まりもありません。

模型の精度が落ちると、そこから受ける質感の印象も随分と変わります。

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認知心理学では、人がある物質Aを見て「これはAだ」と知覚する時、そのヒントになるのは、
その物質のもつ肌理なのだといいます。
例えば本物の花と造花を見分ける時、微妙なツヤや凸凹や厚みを手掛かりに本物を判断しています。

建築にも、本物の石を使った壁材があれば、石を模した極薄のシートがあったりします。
正面から見ると同じに見えても、横から見るとその薄さが分かり、そこで初めて「シートだ」と知覚します。
土壁調の壁紙も、少し角がペロッと剥がれているだけで「土ではない」「薄い」という感覚を得ますよね。

この原理は、建築模型も同じです。
接合・ノリ付け・水平垂直が徹底して綺麗に作られた模型は、覗き込んでみると
「これは模型だ」という感覚を超越して、本当に建築の中に入ったような気分になります。

接合部に隙間があったり、壁紙がちょっと剥がれたり、糊がはみ出ていたりすると、
「紙だ」「ノリだ」と、一気に模型っぽさが出てきてしまいます。

製作の精度によって、紙が紙以上の質感を獲得する。

普段模型を綺麗に作ろうと努力するのは、お施主様への誠意の表しと同時に、
模型がどこまで実際の建築に近づけるか、通常の質感がどこまで異質になれるか、
ということへの挑戦でもあるような気がします。

増田

プラットホーム劇場

こんにちは、金沢です。

6月に入り、電車の定期を変えました。

今までは乗り換えなしを優先してたので、
事務所から少し遠い駅を利用していましたが、
梅雨入りのため徒歩1分の駅から乗り換え1回の経路へと変えました。

そうなると家から出て電車に乗るための駅も変わりまして、
今までと違う風景を見ながらの通勤は、
おそばせながら新生活気分になります。

ただ、以前に比べて電車を待つ時間が長い。
ほんの10分、されど10分。
取り敢えずベンチに座って、向かいのプラットホームをぼーっと眺めるしかない。
・・・個人的には意外と好きな時間ですw
プラットホームの居心地みたいなものが昔から好きなんですよね。

そんな僕の周りには、
ホームをスタスタ歩く人、
ガタンゴトンと通過する急行電車、
隣のベンチでいちゃつくカップル。

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舞台のように横長な場所で展開する、
通過と滞在が交錯し合って織り成す、
矛盾したリアルな風景。

そんなところに何か引かれているのかもしれないと思います。

では

ミラノ紀行1

こんにちは。増田です。

長い長いミラノサローネ出張から帰ってきて、日々時差ぼけと戦いながらいつもの日常を過ごしています。

イタリアには約1ヶ月近く居て、設営や展示の合間にすこしづつ街を散策してきました。
ミラノの街は、サローネ会期中だからかそれともお国柄か、毎日がお祭り騒ぎのような雰囲気でした。
陽が長く夜9時過ぎまで外が明るいので、大人も子供も遅くまで遊んでいて、なんだか異様な光景でした。

今回僕は人生2度目の海外、そして初めてのヨーロッパでしたが、
日本とヨーロッパの都市の構成の違いには多く刺激を受けました。

古い町並みなので素材も構成も昔ながらで、街中に広場があるというのも日本にはあまり無いですし、
なにより建築がパラパラと集まって出来る日本の都市と違い、城廓や街路が先立って建築が出来るので、
スパッと石を削り出したように、綺麗な町並みが自然と出来上がっているのです。

外壁面が綺麗に揃っているので、大通りに夕日が差してきた時も、ズバッと奥まで綺麗に光が届きます。
日本だと影の多い所やよく陽の当たるところがガタガタと疎らになるのが普通ですね。
建物も石積みで壁の厚い重厚な物が一般的なので、軽やかな日本の建築とは印象が全然違います。

日本とは全く違う美の感覚に出会ったような気がします。

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私たちが建築を設計する際に「良いか悪いか」を判断する時、その根拠は大抵、
今ままで受けて来た建築教育や長年の内に身につけた経験に基づいています。
その一方で、建築とはまだ無縁だった幼い頃の記憶や体験に結びついている心象もあります。

手に染み付いた実家の玄関の取っ手の微妙な曲線の感覚、事ある毎に家族で記念撮影をした庭の木、
ワックスの剥がれかかった階段のオーク材の柔らかな艶、怖いけど神聖な感じがした薄暗がりの部屋の窓。

そこには何一つ特別なものはなくて、どれもが極自然にそこにあって、でもだからこそ、
あの階段や木が、私の中の美しい階段や木というものの典型や原点として、
いまも判断の基軸になっているのだと思います。

そしてそういうモノが日本的に作られているから、
私達は自然に日本的な感覚を体得して基軸にしているのでしょうね。
良いと思う物は大抵、どこかに懐かしさの様な感覚を孕んでいるのかもしれません。

今回イタリアで感じた美しさの感覚は、まさに建築の専門的知識として新しいだけでなく、
そういった幼い頃の記憶の中でも一度も体験した事の無い、懐かしさの無い、
まったく新しい感覚のように思えました。

この刺激が、自分の善し悪しの感覚をどれほど揺らがしていくのか、楽しみであり、怖いところでもあります。

増田

目的と手段と愛着

こんにちわ、金沢です。

通勤中の相棒であるipod nanoとの付き合いが、
ついに10年目に突入しそうです。

高校に上がり、初めてのバイトをし、初任給での買い物でした。

憂鬱な通学時間も、好きな音楽が聴ければ一日の活力を蓄える時間となりました。

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ただ考えてみると、好きな音楽が僕を元気にしてくれているのであって、
別にこのipod nanoが元気にしてくれているわけでないのですが・・・
いったら、好きな音楽の入れ物でしかない・・・
それでいて10年前のものらしく2GBという容量の少なさ・・・

それでも、聞く音楽は年齢とともに変わっていくなかで、
こやつだけはいつも変わらずにポッケの中で、音楽と僕を紡ぎ続けてくれます。

音楽を聴くという目的の手段のものでしかなかったけど、
その目的よりも大事なものに生まれ変わるような、
そんな期待をしつつ10年目を迎えたいと思います。

今日は黄色い猿を聴きながら帰ろう。

金沢

ブログ

こんにちは、増田です。

新年あけましておめでとうございます。
本年も、篠崎弘之建築設計事務所、そしてスタッフブログ共々、よろしくお願いいたします。

このブログも開始からもうすぐ1年が経ちます。
「文章を書く」という行為は、当たり前にできるようで、意識するととても難しいものでした。

自分が良いなと思う風景や考えを正確に伝えたい時、
どんな言葉を選び、どんな順番で並べ、どれだけ余白をつくるか、抽象か具象か、すごく悩みます。

反対に、正確な言葉選びをするために、細部まで風景を注視する癖がついてきたような気がします。

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まだ小学生だった頃、国語辞典をパラパラと捲って、知らない言葉に出会った時、
なんだか新しい風景に一歩踏み出したような感覚になったのを今でも覚えています。

風景が先にあるのか、言葉が先にあるのか、分からなくなってしまうような不思議な感覚でした。

表現したい風景が明確であることで、自ずと言葉が導き出されたり、
逆に色んな言葉を知っていることで、表現できる風景の選択肢が広がったり、
その間を行ったり来たりしながら一つの文章に収斂させていく様は、
まさに建築を設計しているのと同じ感覚に思えます。

設計の練習だと思いつつ、
今年も一字一字を大切に、ブログを更新していきます。

増田

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