年末年始の台所

こんにちは、金沢です。

今年もあとわずか、毎年のことながら1年は早いです。
今年の反省も踏まえつつ、来年も精進していきたいと思います。

で、年末年始。
親戚や友人などの家に行く、逆に家に招くことが多い時期でもあります。
その時にみんなで囲み食べる料理は、なぜだか格段においしい気がします。

そんな料理をつくるキッチン。
この時期だと親戚の方と一緒にキッチンを使ったりと、コミュニケーションの場にもなりますよね。

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料理だけでなく、会話を生む要因になるキッチンって考え方も大事な気がします。

それでは、みなさま良いお年を。

金沢

セイコウトウテイ

こんばんは、原です。

寒さが新年へと鋭角のイメージで突き抜けて行きそうな今日このごろ。皆様いかがお過ごしでしょうか?

たとえ北から南へ住む場所を変えたからと言って、寒いものは寒く、北風さんがエッジを効かせた大気の流れで、情け容赦なく僕をチクチクしていきます。痛い、、痛いよ北風さん!

誰かが誤って体内に埋め込んだであろう半端な冬眠信号が蠱惑的にやさしく明滅するなか、
明日もきっと起きにくい朝を迎えます。

もりもり洗濯物の詰まったプラスチックの籠
机上に積まれた本の山々

それらをあさっての方向に空目して、玄関を出るのです。
やるべきことをやるために。

流氷

新年を気持ち良く…。新年だけでも気持ち良く…。

都市のイメージ

こんにちは、増田です。

久々の更新になってしまいました。
バタバタと忙しくしている間に、あっという間に12月です。

クリスマスが近いこともあり、表参道では毎晩イルミネーションの試点灯が行われています。
ピカピカの並木道はやはり綺麗です。

そういえば表参道の通りには、看板の明かりがとても少ないんですよね。
だからイルミネーションも、尚更キレイに見えるのでしょうか。
街としても、中の様子が分かるショーウィンドウがたくさんあるので、看板はあまり必要なさそうです。

表参道と比べると、隣町の渋谷はものすごい看板の量です。

看板といえば、景観に悪いとか、装飾的とか、商業的とか、
ネガティブなイメージを持たれることが多い気がします。

しかし渋谷という街では、その看板が「渋谷らしさ」を生む重要な要素であるような気がしています。

しぶや

建築が数十年という長い期間で残るのに比べ、看板は数日、早ければ数時間で張り替えられます。
街中を埋め尽くし、次々に張り替えられ、どんどん風景を変えていく看板。
炭酸水の広告だったところに、翌日は芸能人が貼られる、という脈絡の無さ。

そんな光景はネガティブというよりむしろ、
エネルギッシュさ、あらゆる物事や活動を受け入れる懐の深さなど、
建築だけでは作れない魅力や表情を生んでいるような気がします。

普段ネガティブに捉えてしまっている街の要素が、
実はその街の魅力や「らしさ」をつくっている重要な存在になっているのかもしれません。

そんな風にいつも過ごしている街を見直してみると、また違った風景に感じるかもしれませんね。

増田

基軸を変えてみること

こんにちわ、金沢です。

先日電車に乗ってると、
GAPの広告で電車が埋め尽くされていました。

Dress Normalというフレーズや見やすいレイアウト。
GAPのファッション基軸というコンセプトをかっこよく表現している広告群。

その中にblack is a colorというフレーズを発見しました。

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黒いものを思い浮かべるとスーツやインクなどある種のノーマル、基軸となっているものが大半なことに気づきます。
色彩表でも独立軸の頂点に存在しますし、やはり黒は色としても実用性としても基軸と言えそうです。

けど黒も色の1つ、その黒を見直すと訴えるこの広告。

基軸を見直すことは、全体を見直すこと。
基軸を変えれば、全体が変わる。

そんなGAPの野心が見えるような気がします。

自分も建築の基軸を見直してみることにします。

・・・建築の基軸ってなんなんですかね?
そこからかもしれません。

では、また

装飾

こんにちは、飯田です。

肌寒い季節になりましたね。
衣替えをしていると、模様の入った服がいくつかでてきました。
幾何学模様やノルディック模様など装飾は個性を引き立ててくれます。

近所の建物にもバルコニーの手摺や門などに装飾がみられます。
以前にアンティークが流行り、最近ではインテリアにもよく見かけます。

よく見ると装飾は幾何学的に組み合わされ、自然が表現されてます。
現代では装飾を様式として取り入れるのを見かけますが、やはり形にも意味があったようです。

例えばヨーロッパで見た雨を落とす樋は竜の彫刻になっていて、竜の口から雨水を流していました。
その彫刻の正体は大量に水をふくむことのできるガルグイユという竜だそうです。

世界三大巨匠の一人、ル・コルビュジェも雨樋を抽象化し、大きなオブジェクトとして外観で見せています。
しまいには雨樋をプールの滑り台にするほどです。
現代建築では雨樋を隠すよう工夫するところ逆に強調しているという点で、
ガルグイユの系譜を意識していたのかもしれません。

模様は違えど装飾は日本建築にも見られます。例えば懸魚(げぎょ)があります。
屋根の妻面に付けられる魚の尾びれを見立てた装飾です。
これは火事が起きないことを願って付けられているそうです。
この命名と彫刻的なあしらいに日本人の粋を感じます。

そんなことを考えていると、日々目にする装飾が楽しくなりそうです。

soshoku

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お久しぶりです。こんばんは。
原です。

夏が過ぎようとしています(もう過ぎたのか?)
皆さま、どんな夏をお過ごしになったでしょうか?

私の夏は毎年の如く、当たり障りないもので、何かしら20代なりの若さや輝きを振りまくような、そんな活発な素振りを見せることもなく、約やかに終わりを迎えました。

夏は私にとってSF(主に小説)の季節です。夏の暑い日々はどうにも、いつもぐらぐらでふらふらな興味の行き先を、宇宙とか時間とか、その他何だかよくわからない、未来的なものに仕向けるようでして。この欲求の起源は何なのか、客観的な考察から、推測を試みようとするのですが、途中で飽きて、「まぁ、気分的なものだろう。。」と大した結論も出ず、あてどなく色々と読み漁る今現在に至ります。

今年は例年に無く、多くの作品を読んでおり、小松左京にハインライン、オーウェル、イーガン、バチガルピ。どれもこれもが悔しいぐらいに面白く、読み終える度に毎回打ちのめされたような気分になります。

それらを作り出す圧倒的な想像力、構想力は一体全体何処から湧き上がってくるものなのか不思議でなりません。

普段、建築設計をしている私なのですが、「未来を構想する」という点で、SFは何だか近いような、それでいて果てしなく遠く、一緒のようでいて、一緒にしてはいけない、そんな絶対的な距離、隔たりを感じます。「文字」と「カタチ」の話なので、端から全く別物なのですが、、、「虚構」と「現実」と言い換えてもいいですね。

全く違うが故に魅力を感じているのかもしれません。無意識にバランスを取ろうとしているんでしょうね。

それとも自ら崩しているのか…。

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日々の生活からでは取り入れる事の出来ない、ある種の「毒」を自ら摂取しているような気分です。

あなたにとっての「毒」は何ですか?
お互い摂り過ぎには注意しましょう。

動き

こんにちは、増田です。

個人的な趣味の話になってしまいますが、山によく登ります。

「山に登る」というとよく「山登りのどのへんが面白いの?」と聞かれます。
これは本当に難しい質問で、登る人の数だけ、答えがあります。

登頂する事に意味があるという人もいれば、美しい景色に出会う事を求めたり、
危険に立ち向かう事で生きる事を実感する…という哲学的な人もいます。

私の答えはといえば、山登りはダンスやバレエのようなものだと思っています。

刻一刻と変わり続ける地形に対し、自分の手足の届く範囲の中で、いかに疲れず、かつ安全に、
そして楽しく、その状況をクリアできるか。
そんな色々な要素が凝縮されて、ある一つの体の動きがそこに現れています。

山登りが上手い人の体の動きは、本当に無駄が無く、その一連の動きに美しささえ感じてしまいます。

木曽駒ヶ岳

建物のカタチを考えるという事は言い換えてみれば、体の動きを考える、と言えるかもしれません。

自分、他人、場所、歴史、時間、ライフスタイル。
様々な要素を引き受けて出来上がる、世界にたった1つの建築空間の中には、同じように、
世界にたった1つの体の動き方…自分だけが踊れるダンスがそこにあるのだと思います。

建築のカタチによって動きが誘発される、あるいは体の動きによって建築のカタチが決まる。

ダンスパートナーのように、建築と住む人が付かず離れずの関係になれたら、
もっと建築が愛おしくなるかもしれませんね。

そんな素敵な関係を目指したいです。

増田

川崎建築

こんにちわ、金沢です。

自分は川崎市出身なのですが、
最近工場夜景クルーズなるものを川崎市が運営していると聞きました。

都心ではあるけど、
東京と横浜に挟まれてるためそこまで大都会感もなく、
むしろそれらを支えるためにあるような川崎。
ある意味脇役・・・

その象徴としての建築が工場だと思います。
夜も大都会を支えるために動き続ける工場。
そんな脇役の輝きが人を魅せるものとなるのは嬉しい限りです。

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建築は地域の象徴となりえるか?、社会を変えれるか?
なんて難しいことは分かりませんが、
少なくとも工場で川崎は変わりそうです。

では、金沢

モノを選ぶこと

こんにちは、飯田です。

一人暮らしをするようになってモノを買う機会が一段と増えてきました。
食材から日用品、大型家電や家具。抑えられるところは知恵を振り絞ってコストダウン。
アクセントとしてちょっと頑張って買ったりします。

特に旅先で収集したテキスタイルや小物などは圧倒的な存在感で日常の風景を一新してくれます。

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そのアクセントが生活に馴染んでいくことで、生活のスタンダードが向上していくように思います。
選ぶモノに不思議な二面性を感じます。例えば、とても良い靴を買ったらその人のイメージが変わり、
一方その人は歩き方など姿勢を意識します。

そうやって成長していく、きっかけとなるモノに価値を感じます。

設計の仕事では、モノを選ぶ機会がたくさんあります。
ドアなどに付く金物類から設備といわれる水周りなど。
これらが異なれば、日々の生活の風景も大きく変わってくると思います。

何をコストダウンし、何をアクセントとするか、シーンをイメージする、、
日々の生活を向上していくモノ選びの提案を心がけていきたいものです。

捲るアツミは何処へやら

こんにちは
原です。

電車の中では、小説を読む人、漫画雑誌、参考書を広げている人など、書物に触れている人を多く見かけます。
私も職場までの行き帰り、電車の中での僅かな時間を使って、なるべく読書をする事にしています。

最近は電子端末で何かしら読んでいる人を見かけますね。かくいう私もその1人でして、、

紙の本でないとダメだという人がいますが、私はそうでもなく、電子端末での読書を嗜んでおります。

「情報に触れる」行為の1つとして“読書”を捉えると、紙だろうが液晶だろうが大して差を感じなくなってしまい、モノとしての扱い方の違いも気にならなくなりました。

電子の文字

これを寂しい事と捉えるか、幾分本質的であると捉えるかは各々の価値基準におまかせなのですが、、
(もちろん紙の本も好んで読んでます!)

読書を取り巻く環境に限らず、新しい “なにものか” はいつの間にか生活の中に浸透してきます。その都度、建築自体も色々と対応を迫られているわけなのですが…。

兎にも角にも、利害得失、その有り様を認識した上で、うまく付き合うようにしたいですね。
大切なものを失わないように…。

外身と中身

こんにちは、増田です。

代々木上原から表参道事務所に引っ越してきてから、はや一ヶ月半が経ちました。

表参道は、朝も昼も夜も、お洒落な格好をした人達で溢れています。
いいなあと自然に思える格好から、飛び抜けて奇抜でビックリする様な格好まで、本当に色んな人が居ます。
その中を歩く度に、「自分は浮いていないだろうか」と、今日の自分の服装をじっと見て考えてしまいます。

ファッションというのは本当に難しいですね。

自分が良いと思う服を来て、しかし人からどう見られているかも気にして、
かつ暑さ寒さに適応する機能性も重要で。

色々な要素が凝縮されて一つの格好が出来上がっていると思うと、まじまじと眺めてしまいます。

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建築にはそれぞれ持ち主がいて、その人がその建築の中で楽しく過ごせるように、建築は設計されます。
でも一歩玄関を出てみると、自分の家もみんなが見ている街の風景の一部、公共のものなんですよね。

建築が建つ事でご近所さんが困る事もあれば、その街の風景が一気に良くなったり、
家の見た目をきっかけにご近所さんと話が弾んだり。

建築が一つ建つだけで、内側も外側も、色々な事が起きます。

自分らしく、それでいて皆にも愛される建築。
建築を考えるのもファッションを考えるのも、似ている部分がありますね。

どちらを考えるにしても、外見と内面、上手く両立したいものです。

増田

いつもと違う顔

こんにちは、金沢です。

自分はよく日常に溶け込んでいるものが、
ふとした瞬間に見せる違う顔にドキッとしてしまうタイプです。

異性の幼馴染を見る目が変わってしまうあの感じです。

毎日のように見かけるコンクリートブロック。
道路からの視線をさえぎるため、崖地をせきとめるため、外で使われ続けてます。

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外のもの、耐久性がある、毎日見るもの。
このイメージとは逆に住宅の内部のために活かしてみると、
そこには今までとは違う顔のコンクリートブロックがいるような気がします。

外にいるかのようなここちよさ、高い耐震性、日常の落ち着き。

固定観念をとりはらえば、
こんな素敵な顔を見せるコンクリートブロックが現れるような気がしてます。

では 金沢

走ることで見えてくる風景

おはようございます。
毎朝ひた走る、飯田です。

考え疲れた時、実は体力は有り余っているのでは?
という疑問から始まったランニングは習慣となり、はや2年が経とうとしています。
朝走ることは一日のスイッチであり、何かを探してはアンテナを立てている感覚もあります。

特に日の出の時刻には、街の目覚めの姿が見える気がします。
小鳥のさえずりや朝ごはんを作る家事の音、朝練に行く寝ぼけまなこな中学生など、、

他の時間帯と比べより鮮明に、ときに違った物にも見えてくるのが私の毎朝です。
梅雨であるこの時期、雨が上がったのを見計らい走ることも気持ちの良いものです。

アジサイの咲く雨上がりの風景、、

アジサイ

さて、走るか、、

飯田

あの日の街とその距離と

こんばんは 原 です。

ここのところ雨の日が多いですね…。梅雨なので仕方ないのですが…。

雨音を聞くと、以前住んでいた金沢の街を思い出します。

灰色に濁った空が印象的な北陸にあるその街は、事あるごとに雨が降り、冬は湿ったべちょべちょの雪が邪魔で仕方なく、出歩くのが億劫になる程でした。

必然的に人に会わない事が多くなり、ぼーっと一人で何かを考える時間が増えていきました。
逐一ぼやーっとしてしまう癖はきっとこの時についたに違いありません。

「耐え忍ぶ」 そんな感覚で住んでいたそんな街も、離れてみると素敵なものに溢れている贅沢な場所だったのだと、今更ながら思ってみたりしています。
二本の川の澄んだ流れも、高く伸びる松の孤独な姿も、妙に明るく静かな雪の夜も、待ち焦がれた冬の終わりも…。
ふとした瞬間に思い出すのはいつも、あの日、あの場所、あの光景です。

skitch

場所が人に残すものは多大ですね。

一つ目、二つ目の故郷、そして今在る場所、三つの微妙な距離、隔たりの中に自分の有り様を見るような気がします。

“故郷は遠きにありて思ふもの”

あなたは“故郷”に何を見ていますか?

時間

初めまして、増田です。

今年の春から、スタッフとして建築設計に携わらさせてもらっています。
どうぞよろしくお願いします。

働き始めると、時間の流れを意識する瞬間がたくさんあります。

電車を待っている時、納期に追われている時、集中して作業をしている時。

一定に流れているはずなのに、長く感じて得したり、あっという間に感じて焦ったり。
その感じ方は、身を置く状況によって様々です。

でも損得に関わらず、時間の流れを感じる瞬間は、
私達の生活をとても豊かで濃厚なものに感じさせてくれている気がします。

あかり

では、目に見えない時間というものを、どうやって感じ取っているのでしょう。

その昔、とある建築家は言いました。

「人が時間を感じるという事は、何かそれと共に変化する媒体を介して感じるという、相対的なものである。」
媒体…うーん難しい事言いますね。

私達の身の回りにあるもので言い例えると、
時計の針の動き、定期的になる学校のチャイム、電車の往来、ドラマの始まりと終わり、などなど。
実はそこら中にころがっています。

太陽の光もそうかもしれません。

24時間365日変化し続ける太陽の光を上手く取り入れた建物は、
ただ部屋が明るいというだけでなく、
時間の流れもドラマチックに感じさせてくれるのかもしれません。

毎日、毎時間、毎分、毎秒、少しづつ表情が移ろう建築。

そんな飽きない建築がつくれたらいいなと思います。

増田

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