あんさん、ニッポン人

こんばんは。原です。

自分が日本人であることを意識する時が、普通に生活している中で、果たしてどれくらいあるだろう?

ある海外小説を読み終え、多国籍な物語の有り様に思いを馳せていたら、そんな疑問が湧きました。
国内に居るうちは、そんな状況幾らも無いなと思っていたのですが、案外そうでもない事に気づきます。

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電車で乗り合わせる人は大概、ハングル、繁体字、簡体字の表示されたスマホをいじってますし、街で飛び交っている言葉、看板に表示されている文字も日本語とは限らない場合が多いです。(住んでいる場所が場所だけに、というのもあるのですが…)
周りを見れば見るほど、東京は日本の一部というより、アジアの一部といった印象が強いですね。

その他にも、言語の違いだけでなく、肌の色、骨格の違いが、その人が日本人でないこと、自分が日本人であることを自覚させてきます。

「他人と比べたら、どうやら自分は日本人らしい。」

この言い方、何だか引っかかるんですよね…。変な感じがします。軸が無いような、中心が無いような。
比べるでなし、もっと内発的、自発的な理由があってもいいような気がするのですが…。
比較対象がいないと僕らは“日本人”を保てないのでしょうか?

ある先生は「辺境人」と日本人の事を言い表しましたが、この表現に近い力が働いているように感じます。

何だかモヤモヤ、スッキリしない。
こういうの、根が深いんですよね…。
また変な引っ掛かりをこさえてしまった。
帰ってはよ寝よう。

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