当たり前のことの見方

こんばんは福村です。

最近は少し肌寒くなってきましたね。
とうとう秋本番かな?と思っていると暑かったりもしますが

自分もそうですが、みなさん体調には気をつけてくださいね。

さて秋といえば、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋など
盛りだくさんな季節でもありますが、この並びをみると

季節が関係あるのだろうかというぐらいすべての要素が入っているように思います。
食べるし、本を読むし、運動するし、芸術もたしなむ。

さらに言えば、文化祭や運動会、合唱コンクールなどもこの季節に含まれ
秋ってほかの季節より優遇されてるな、なんて思ってしまいます。

ほかの季節にも分けてあげればいいのにと、たとえば
スポーツの夏、読書の春、芸術の冬。。。わかってはいましたがしっくりこないものです

このような特に理由は知らないけど、言葉のまま受け入れてる事柄って結構あるような気がします。
なぜかその言葉がしっくりきていて自分の生活がそれに従って動いていたりしませんか?

しかし、そのような当たり前の事を疑ってみたり、確認してみたりすることが何かのきっかけになるんじゃないかなど…
当たり前の事とは自分を縛っているものであり、枷であり、そこから解放されることで新たな発見や変化につながるかもしれないなどと妄想したりしています。
当たり前が当たり前じゃなくなるとき。当たり前がなぜ当たり前か気づいたとき。なにか見えてるものが変わるかもしれませんね。

当たり前がない建築。

IMG_3509

ここにはどんな当たり前があるんでしょうか

まだまだ考えられることはたくさんありそうです。

最後に、Pinterestに続き、Instagramも始めました。
篠崎事務所のプロジェクトや事務所の雰囲気など発信できたらなと思います。
よろしくお願いします。

https://instagram.com/hiroyuki.shinozaki.architects/

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