都市の礎
こんにちは。増田です。
連日大雨が続きましたが、皆様ご無事でしたでしょうか。
事務所のある代々木公園は大きな池が出来る程の雨量でしたが、
今日も遠方の水害の後遺症が報道されていて、東京と比較にならない程大変な状況である事が伺えます。
狭い島国である日本は、山も川も海も街も全てが近接しながら存在しています。
それが日本の個性であり魅力ですが、街が自然災害に見舞われやすいという事もまた事実です。
そう考えると、自分は建物の中で過ごしているのではなく、
もっと大きな環境の中で過ごしているんだな、という事を意識させられます。
近所の川や山、公園、商店街、駅、学校、色々な物に囲まれていたんだなと。
「この街に住む」とはつまりどういう事なのだろう、と考えさせられます。
ある会社の信念となる言葉に「共に生きる」というものがありました。
「部屋に住んでいる」と考えるか「街に住んでいる」と考えるかの差はまさに、
この街で誰かと/何かと共に生きているかいないかの差、ではないかと思いました。
山と生きる、川と生きる、人と生きる、etc…
極端に言えば、牢屋のように堅牢な建物は自然災害にも強いですし、
そこに平らな床さえ有れば、仕事も食事も睡眠も困りません。
ですがそのような合理的すぎる建物は、どんな場所に建つかなんて関係ない、
自然や近隣の存在なんて少しも感じない、孤立した寂しい建物になってしまうでしょうね。
まちに開かれた大らかな建物があり、上には働いている人の姿が見え、
下には遊びに来た大人や子どもがワイワイお茶していて、時々目が合ったりして、
お昼には美味しい焼肉屋さんがお弁当を届けに来て、おめでたい日にはお花屋さんが来て、
夕方には遠くの山々を眺め、祝日には祭りをやって…
そんな風に、街のあらゆる存在が集まって交差していくような
ターミナルになる建築が有るといいな、と思っています。
自分がその街に住んでいる事を楽しい・誇らしい・アイデンティティだと感じる事も、
何か起こった時に互いに助け合えるかどうかも、
ますは「住んでいる街を知る」という事から始まっているような気がします。
建築を設計する立場ではありますが、建築単体だけでなく、
その外側へも意識を向けられるようなものをつくりたいです。
増田