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お久しぶりです。福村です。

書こう書こうと思っているうちに、だいぶ月日が経ってしまいました。
これを機に定期的に更新していければと思います、、、

暑いのか寒いのかよくわからない日が連日続きますね。
体調だけは崩さないように日ごろから注意しようと思います。
皆様もお気を付けください。

さて、最近担当している住宅が上棟しましてウキウキワクワクしている日々です。
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まだ完成は少し先ですが、自分でも住みたいなと思いながら粛々と進めている状況です。

いくつかの現場や作品をみていると
いろんな人がいる中でいろんな住宅があるべきだなと再確認しています。
なぜか人柄や雰囲気がダイレクトにあらわれているように感じるものが少なくありません。
RCなのか鉄骨なのか木造なのかさへその人自身が持つ空気感で導かれているような気も。。。

人柄などから建築を考えてみるのも面白い発見ができるかもしれないですね。

よくわからない感じになってしまいましたが、概念的なことなどを最近考えられていなかったので
意識的に考えなくてはと思っています。

余裕を持って生きるのが目標です。

それでは

こんにちは、山口です。

本日houseOのお引き渡しがありました。
夏に工事着手してからあっという間に時間が経っていました。

この住宅は新人の設計スタッフと新人の現場監督で担当させていただき、
お互いわからないところを共有したり、悩みながらもいろんな方の知恵をお借りしながら進めてきました。
毎朝現場からの連絡で仕事が始まるようになる中で、
「山口さん、外観めちゃめちゃかわいいですよ!」
と足場がとれた連絡が監督から興奮気味でが来たことがありました。
ただ足場がとれた連絡ひとつでも現場を楽しんでいる様子が伝わってきてこちらもわくわくしてたのをものすごく覚えています。
そんな新人監督とひとつの現場を通して、意見をぶつけ合いながらも共に成長できたことは本当によかったです。

また工事が進み完成へ向かう打合わせの中でお施主様と
「ここでこんな風に過ごしたい、こんな暮らしができる」といった希望が現実に近づいていき
それを喜んでいただけたことが何より嬉しかったです。感無量でした。
設計から暮らしを考えることの大切さを実感させていただきました。

今回初めての実施設計監理通して、建築を設計することの楽しさと共にたくさんの人の知恵によって
建築が成り立っていることを改めて実感しました。大工さんから設備屋さんまで多くの職人さんと知恵を出し合いながら工事が進み、
より良い住宅になったのではないかと思います。
現場から連絡が来ることも、行くこともなくなるので寂しさもございますが
これからはお施主様に住まわれることによって、よりよい住宅になっていってほしいです。

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公園に桜が咲く季節にまた伺いたいです。

山口

こんにちは、増田です。

更新を怠っているうちに梅雨入りとなりました。
現場にとっては雨は厄介者ですが、晴れ間を縫って今日も様々なプロジェクトが動いております。

さて先日、長らく設計を進めてきました北鎌倉の住宅が上棟しました。
まだ柱と梁と筋交があるのみですが、少しづつ空間のコンセプトのようなものが表れ始めています。

現場で建築が立ち上がっていく過程を隅々まで見ると、
PCや紙の上で設計をしている時とはまた違った解像度で建築の姿が見えてきます。

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設計中は、建物自体や、その中にある部屋であったり壁であったり、家具や開口部など、
ある程度大きなスケールで意味や理由を考えていますが、
現場に入ると、まさに板1枚のスケールで物事の意味が見えてきます。

基礎の厚さ、土台の位置、合板の仕様、ビスの間隔、建築を構成するあらゆる要素に
それぞれの役割があり、それが積み重なって建築ができているのだなあと改めて感じました。
微視的な視点と巨視的な視点が、現場を見ている間に少しづつ繋がったような気がします。

建築が完成するまでの過程は、設計者はもちろん知っていなければなりませんが、
その建築で住まう人にこそ、経験してもらいたい事でもあります。

どこにどんな物が使われているのかという瑕疵的な安心感もありますが、
建築の隅々までが自分の生活に寄与している事に気付けると、
もっと細かいところまで建築を愛せるのではないでしょうか。

こんにちは、福村です。久しぶりの更新になってすみません。。。

さて、最近は図書館のプロポーザルに参加していました。
結果としては次点だったのでとても悔しい気持ちでいっぱいなのですが、
この経験を活かして前に進まなければなりません。当日の審査で感じることも多々ありました。

そういった中で強く感じることができたのは、地域の熱量です。
当日も多くの地域住民の人たちが見に来ていました。ほぼ満席の状態で埋まっている会場を見て
建築を作るということに、これだけの人たちが興味と関心を持ってくれているんだとある種の
感動と責任のようなものを感じました。

このような体験をして、多くの地域にはまだまだ建築が必要で、変化を求めている地域が多くあること。
建築でなければ起こせない変化があること。建築にはまだまだできることがあるんだなと。

今回は悔しい思いをしましたが、街に建築を作ることがどういうことなのか、
あの審査会場で感じることができたように思います。

建築の空間により街と人が変わっていく。
建築をつくることは未来をつくることである。
建築は社会を変えることができる。
自分の中で印象に残っていた言葉たちが確信をもった理解に
変わりつつあります。

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建築で感動させたいですね。これからもがんばります。それでは

こんにちは、増田です。

長らく更新を怠っている間に、
ブログを書いている今、ついに大晦日の夕方を迎えてしまいました。

今年も様々なプロジェクトと素晴らしいお施主様に恵まれ、
スタッフとしても大変素晴らしい経験に溢れた1年となりました。

1年目である昨年は、まさに図面の書き方や設計の基礎にどっぷり浸かる鍛錬の年でしたが、
2年目である今年は、図面に描いたものが初めて実物となり世に放たれていく実践の年でした。

この1年で何が成長したかはまだ整理できていませんが、設計図が立体になる、
という流れに触れて建築の見方は少し変わった気がします。
世の中がどのように出来ているのかが知れると、何気なく街を歩いているだけでも細部や仕組みに注目するようになり、今まで見ていたものも全く新しい世界のように思えて楽しいです。

僕は大学と大学院の6年間で建築を学んできましたが、
実際に社会に出てみるとまだまだ学ぶべき事は多く、果てしなく遠い道のりのように思えます。

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学生の頃の課題というのは、お施主様の存在も架空のもので、
学生特有の若さもありカッコよくて新しい可能性や思想をもった建築ばかりを思い描いていました。
いわば、建築という学問を発展させる為に存在するような「建築の為の建築」をつくるような感覚でした。

今は実際にお施主様が居る事や、設計したものが現実のものになるという事もあり、
「生活の為の建築」を強く意識するようになりました。

ですがそれは、学生の頃学んできたようなコンセプトや思想を「夢見がち」として捨て去った凡庸な建築や、
逆に最低限の生活しかできないような建築家の実験的な建築という意味でもなく、
必要十分な生活を保証し、かつ建築的な新しさが、生活にも新しさや発見をもたらす事に直結している、
という意味で「生活の為の建築」という風に考えています。

リビングも、中庭も、家具も、階高も、光も影も、海も山も街も、はるか昔から存在するものですが、
私達が建築を作る事によって、
そんな当たり前すぎて深く意識する事も無くなってしまったモノに潜む、
新しい魅力や可能性に気づかせる事ができたならば、これほど嬉しい事はありません。

そういう意味で、好き勝手やってきた学生の頃とは比にならないぐらい、
建築がそこに存在すべき理由に現実味が求められます。
それでも、そこに怖気ずに、6年間学んで得た思想や考え方を流されないようにしたい、と思いました。
その上で次々と新しい経験や考え方を積み重ねていきたいです。

おそらく建築は、思想やこだわりなど無くとも、
それなりの経験と知識と資格さえ持ってしまえば、だれでも設計する事ができると思います。
無難に家を設計する、という仕事の仕方もあるのかもしれません。

だからこそ、
そこでこだわりや思想を捨てずに持ち続けられるかどうかが、
その人を建築家と呼ぶか建築士と呼ぶかの境目なのではないかと思います。

僕はまだスタッフという未熟な身ではありますが、
それでも意思を持って建築設計に挑み続けたいです。
スタッフなのに建築家みたいですね!と呼んでもらえるように。

そのような姿勢で、来年も頑張ります。

増田

こんにちは金沢です。

冬なりかけですね。
この時期は油断してると風邪すぐ引いてしまう気がします。

しかしながら、こんな時期でも水を使わなければいけない時がある訳で・・・
そんな時は昔からこのホースがお友な気がします。

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床に垂れたホースの無作為にテローンとした感じが個人的には何故か愛しくてたまりません。
残り水が垂れてると、なお愛おしいです。

水撒きという行為を満たすため、
紐形状と軟質素材という要素が合わさって生まれる、ホースという自由な線。

それは誰かが水を撒いた、その足跡ともなるような気がします。

必要条件がいつの間にか十分を生み出す。
ミニマルな考えというのはなんか得した気分になりますね。

では

こんばんは

原です。

久しぶりになってしまいましたが、皆様如何お過ごしでしたか?
ほんの少し前まで夏真っ只中だったような気がするのですが、、あっという間に寒くなってしまい、いよいよあの冬になろうとしている、そんな時分ですね。

東京の冬はどことなくピンと張り詰めているような雰囲気があり、とってもクールに思えます。
コート姿の群衆が、駅構内を急ぎ足ですれ違い、等間隔に連続する蛍光灯の青白い光が、それぞれの行先をどこまでも均一に照らしています。
そんな「冷たさ」のある風景がよく似合う季節です。都市が創りだした風情ですね。
もちろん、炬燵にみかんもいいのですが、そういった「暖かさ」の裏に確かに存在しているものです。

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ネガティブさが少し香ってくるような風景も、構築された状況が創り出している一つの美であることを、
悲しくも素晴らしく思うのです。

ではでは

こんばんは福村です。

最近は少し肌寒くなってきましたね。
とうとう秋本番かな?と思っていると暑かったりもしますが

自分もそうですが、みなさん体調には気をつけてくださいね。

さて秋といえば、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋など
盛りだくさんな季節でもありますが、この並びをみると

季節が関係あるのだろうかというぐらいすべての要素が入っているように思います。
食べるし、本を読むし、運動するし、芸術もたしなむ。

さらに言えば、文化祭や運動会、合唱コンクールなどもこの季節に含まれ
秋ってほかの季節より優遇されてるな、なんて思ってしまいます。

ほかの季節にも分けてあげればいいのにと、たとえば
スポーツの夏、読書の春、芸術の冬。。。わかってはいましたがしっくりこないものです

このような特に理由は知らないけど、言葉のまま受け入れてる事柄って結構あるような気がします。
なぜかその言葉がしっくりきていて自分の生活がそれに従って動いていたりしませんか?

しかし、そのような当たり前の事を疑ってみたり、確認してみたりすることが何かのきっかけになるんじゃないかなど…
当たり前の事とは自分を縛っているものであり、枷であり、そこから解放されることで新たな発見や変化につながるかもしれないなどと妄想したりしています。
当たり前が当たり前じゃなくなるとき。当たり前がなぜ当たり前か気づいたとき。なにか見えてるものが変わるかもしれませんね。

当たり前がない建築。

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ここにはどんな当たり前があるんでしょうか

まだまだ考えられることはたくさんありそうです。

最後に、Pinterestに続き、Instagramも始めました。
篠崎事務所のプロジェクトや事務所の雰囲気など発信できたらなと思います。
よろしくお願いします。

https://instagram.com/hiroyuki.shinozaki.architects/

こんにちは。増田です。

連日大雨が続きましたが、皆様ご無事でしたでしょうか。

事務所のある代々木公園は大きな池が出来る程の雨量でしたが、
今日も遠方の水害の後遺症が報道されていて、東京と比較にならない程大変な状況である事が伺えます。

狭い島国である日本は、山も川も海も街も全てが近接しながら存在しています。
それが日本の個性であり魅力ですが、街が自然災害に見舞われやすいという事もまた事実です。

そう考えると、自分は建物の中で過ごしているのではなく、
もっと大きな環境の中で過ごしているんだな、という事を意識させられます。
近所の川や山、公園、商店街、駅、学校、色々な物に囲まれていたんだなと。

「この街に住む」とはつまりどういう事なのだろう、と考えさせられます。

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ある会社の信念となる言葉に「共に生きる」というものがありました。

「部屋に住んでいる」と考えるか「街に住んでいる」と考えるかの差はまさに、
この街で誰かと/何かと共に生きているかいないかの差、ではないかと思いました。

山と生きる、川と生きる、人と生きる、etc…

極端に言えば、牢屋のように堅牢な建物は自然災害にも強いですし、
そこに平らな床さえ有れば、仕事も食事も睡眠も困りません。

ですがそのような合理的すぎる建物は、どんな場所に建つかなんて関係ない、
自然や近隣の存在なんて少しも感じない、孤立した寂しい建物になってしまうでしょうね。

まちに開かれた大らかな建物があり、上には働いている人の姿が見え、
下には遊びに来た大人や子どもがワイワイお茶していて、時々目が合ったりして、
お昼には美味しい焼肉屋さんがお弁当を届けに来て、おめでたい日にはお花屋さんが来て、
夕方には遠くの山々を眺め、祝日には祭りをやって…

そんな風に、街のあらゆる存在が集まって交差していくような
ターミナルになる建築が有るといいな、と思っています。

自分がその街に住んでいる事を楽しい・誇らしい・アイデンティティだと感じる事も、
何か起こった時に互いに助け合えるかどうかも、
ますは「住んでいる街を知る」という事から始まっているような気がします。

建築を設計する立場ではありますが、建築単体だけでなく、
その外側へも意識を向けられるようなものをつくりたいです。

増田

こんにちわ、金沢です。

残暑が厳しいですね。
子供の頃はこんなに暑さを気にしたことなんてなかった気がするのですが・・・

子供のころと何か変わったのかと言われれば、
何も変わってないのでしょうけど、
夏の過ごし方は変わった気がします。

外で遊んでいた小学生と違い、
涼を求めて図書館へ行ったり、
花火はやって楽しむものから、
見て楽しむものになり・・・

だからか、
個人的に夏は1番ノスタルジックになる季節です。
ふと上を見上げて、
あの日のような青があるだけで懐かしい気分になります。

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こんな風に、
子供が育っていく中で思い出が生まれ、
将来ノスタルジーを感じるような住宅を設計していきたいものです。

こんばんは

原でございます。

今はお仕事でミラノに来ています。

今回が初のイタリアです。なかなかに刺激的な日々を過ごさせてもらっています。
世界史の教科書や映画、ゲームの中でしか見たことのなかった世界が、まさに今目の前に広がっていることを思うと、それだけで胸が一杯になります。
ありきたりな感想ですが、海外の経験が浅い私としては、それが正直なところです。

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ヨーロッパ自体が歴史建造物の宝庫ですが、もちろんミラノも例外なく、
ドゥオモ、ガレリア、スカラ座…etc と、数多くあります。
しかしながら、ミラノは建物と共に伝統的なライフスタイルが確かに存在していながら、“モダンさ”を多く感じ取る事ができます。
ファッションやインテリア等のデザインやアート的な要素が多い街で、本当に刺激的です。

どうにもイタリアと言うと、フィレンツェやローマのような歴史観溢れる街を最初に想像してしまいますが、
それらとはまた違い“現在”を生きるイタリアの街を、ミラノは体現しているような…そんな印象があります。

知らない事だらけのイタリアですが、これをいい機会に、色々なものに触れてみたいですね。

明日は打って変わり“都”の方へ行って参ります…

こんにちは。福村です。

最近1日、1週間、1ヶ月がものすごく早く感じます。
充実しているからなのか、時間を意識しているようでしていないのか。
この経験は皆共通に持っているものでしょう。

だからこそ丁寧に生きていきたいですね。

さて、自分は最近銭湯にはまっています。

きっかけは通っていた大学のシャワーの故障だったのですが
それからというもの良さそうな銭湯を見つけては電車で乗り継いで行くほどになりました。

銭湯遠征です。

どこの銭湯も多くの人が利用しているということです。やはり日本の文化は根強いのでしょうか。

色んな場所に行くと、それぞれ雰囲気も違いますしとても楽しめます。
そこに行くまでの道のりから、お湯の温度やバリエーション、脱衣所の広さ
、混み具合、空間の雰囲気など自分の好みが徐々にわかっていくのも楽しみの一つです。
今は炭酸風呂に長く浸かるのが好みです。ジワジワきます。

また、おもしろいことに街と銭湯の雰囲気はとても合っていて、
駅に降り立った瞬間から銭湯の体験は始まっているのかもしれません。
銭湯と街は深い関係がありそうですね。

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そんなことを考えながらも、
以前16時ごろにいく機会があり銭湯の一番風呂を体験したのですが
この大衆のための空間を自分が占有している感覚は最高でした。
誰かが入ってきた瞬間崩れ去りますが、なかなかない体験なので、
是非みなさんも銭湯の一番風呂を経験してみてはいかがでしょうか?クセになります。

まだ都内の銭湯しか回れていないので、全国の銭湯を経験し、そしていつか銭湯の設計もしてみたいものです。

それでは。

こんにちは、増田です。

今年も1年の半分が終わりました。
少しづつ夏らしさが増しつつも、まだまだ梅雨が明ける気配はなさそうです。
ただ私は雨が好きなので、しばらくはこのままでもいいかな、と思っています。

雨の日の唯一の悩みは湿気です。
これによって、髪の毛と事務所の模型がうねりだします。
精度よく作られた模型達も素材は紙なので、反ったり剥がれたり、一溜まりもありません。

模型の精度が落ちると、そこから受ける質感の印象も随分と変わります。

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認知心理学では、人がある物質Aを見て「これはAだ」と知覚する時、そのヒントになるのは、
その物質のもつ肌理なのだといいます。
例えば本物の花と造花を見分ける時、微妙なツヤや凸凹や厚みを手掛かりに本物を判断しています。

建築にも、本物の石を使った壁材があれば、石を模した極薄のシートがあったりします。
正面から見ると同じに見えても、横から見るとその薄さが分かり、そこで初めて「シートだ」と知覚します。
土壁調の壁紙も、少し角がペロッと剥がれているだけで「土ではない」「薄い」という感覚を得ますよね。

この原理は、建築模型も同じです。
接合・ノリ付け・水平垂直が徹底して綺麗に作られた模型は、覗き込んでみると
「これは模型だ」という感覚を超越して、本当に建築の中に入ったような気分になります。

接合部に隙間があったり、壁紙がちょっと剥がれたり、糊がはみ出ていたりすると、
「紙だ」「ノリだ」と、一気に模型っぽさが出てきてしまいます。

製作の精度によって、紙が紙以上の質感を獲得する。

普段模型を綺麗に作ろうと努力するのは、お施主様への誠意の表しと同時に、
模型がどこまで実際の建築に近づけるか、通常の質感がどこまで異質になれるか、
ということへの挑戦でもあるような気がします。

増田

こんにちは、金沢です。

6月に入り、電車の定期を変えました。

今までは乗り換えなしを優先してたので、
事務所から少し遠い駅を利用していましたが、
梅雨入りのため徒歩1分の駅から乗り換え1回の経路へと変えました。

そうなると家から出て電車に乗るための駅も変わりまして、
今までと違う風景を見ながらの通勤は、
おそばせながら新生活気分になります。

ただ、以前に比べて電車を待つ時間が長い。
ほんの10分、されど10分。
取り敢えずベンチに座って、向かいのプラットホームをぼーっと眺めるしかない。
・・・個人的には意外と好きな時間ですw
プラットホームの居心地みたいなものが昔から好きなんですよね。

そんな僕の周りには、
ホームをスタスタ歩く人、
ガタンゴトンと通過する急行電車、
隣のベンチでいちゃつくカップル。

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舞台のように横長な場所で展開する、
通過と滞在が交錯し合って織り成す、
矛盾したリアルな風景。

そんなところに何か引かれているのかもしれないと思います。

では

こんばんは。
原です。

暑くなってきましたね。
このまま梅雨へと寄り道しながら、夏までゆるりと蛇行運転ですよ。

さてさて、巷には新生活が始まって2ヶ月が経とうとしてる人たちがいると思いますが、
僕は春に新居へ引っ越しまして、今では友人たちと3人で共同生活です。

いわゆる“ルームシェア”ってやつですね。

どうですか?“ルームシェア”。経験ある方いらっしゃいますか?
シェアハウスとかカーシェアリングとかなんとか、“シェア”は最近は流行りのような傾向もありますが、昔からある行為ですよね。楽しい反面、苦労もあります。一人でいるときに比べたら格段に気を遣う機会が増えますからね。気になる人はかなりしんどいと思います。あと“一緒に何かをする”ことに価値を感じられないと、とてもじゃないけどやっていけないです。ある程度「気を遣わない」タイプの人が向いているかもしれません。多分。。。

シェア前提で物件を探すと、それに向いた部屋の少なさに気づきます。
個室の広さに差が出たり、脱衣所経由じゃないとトイレに入れなかったり、ある部屋だけ収納がなかったり←僕ココ 、お金を積めば幾らか出てきはするのですが、結局のところ、どこかでガマンしないと、自分の希望と物件の条件との折り合いがつかないんですね。。

暮らしていて感じるのは、間取りに対してかなり無理をしているような感じがする事です。
3DKに強引に暮らしているので仕方がないのですが、、
上手いこと互いをつないでくれるLの部分(不動産用語で言うところの)が無いのが、かなり窮屈な思いをしている原因ですね。現状、4帖程のDがL的に使われています。なかなかキツイものがありますねぇ。

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そもそもLって何ぞやと考えます。皆の言っているLivingとは一体全体何ぞやと?その存在はかなり曖昧で、フワフワしています。でもとっても大事な部分な気がする…。その価値はこのルームシェアを通して学べるかもしれません。

「Living(?)無しの生活」

自分の身体で実験です。

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